「あれよあれよという間に10年がたっていました」と、にっこりする松山功さん。定年後、ほぼ毎年のように中国やヨルダンへ飛んで魚介類の養殖技術を指導し、海外ボランティア一色の生活を送ってきた。
実は、松山さんは水産分野を長く専門としてきたわけではなく、定年後に“若いころの夢”を追い求めて、東京大学水産学科の研究生となったのが、すべての始まりだった。
20代のころ、京都大学農学部で学んだのは砂防工学。魚が好きだったために水産学部を希望したが、家庭の事情で断念した。「当時、京大の水産学部は舞鶴にあったので、結核で入院していた母親を置いては行けませんでした」
大学卒業後は静岡県の楽器メーカーに勤務したが、魚介類への関心は変わらず、「週末には浜名湖へ行ってアサリを獲り、産卵・ふ化させて稚貝を育てていた」という。いつしか養殖が趣味となっていた。
60歳でサラリーマン生活を終えると同時に、長年の夢を実現させるべく東大水産学科へ。「今から思うとつたない夢でしたが……」と自嘲気味に振り返る松山さんだが、晴れて魚介類の産卵とふ化の研究に3年間没頭した。 |
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内モンゴル自治区にて、養殖した魚と松山さん。

ヨルダンのアンマンで養殖指導をしている様子。現地の若者と一緒に作業。 |